青森県活性化ブログ

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【生き方・考え方】私が地方活性化を大切に思う理由

本記事のタイトルは「私が地方活性化を大切に思う理由」です。

私が地方活性化を大切に思う理由は「生きがい」だからです。

 

私はブログを始めるまで、漠然と地元が好きであると思っていました。

ブログタイトルに「地方活性化」を掲げ記事を書こうと考えているうちに、そもそも何故地方活性化が必要なのか?、地方活性化とは何なのか?という問いに悩むようになりました。

地方が賑わうこと?、地方にお金が落ちること?私はNOだと思います。

本当の意味での地域活性化とは地元の人が地元に関心を持ち、行動するすることという結論です。その動機として人の中に「生きがい」を育むことが必要なのです。

私の思考手順を追いながら、整理していこうと思います。

 

 

私と地方・故郷と生きがい

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幼い頃、親や祖父母、地域の方を通じて地元と接し、考える機会が沢山ありました。それは私を構成するもの、思考の一部の様になっています。具体的には地名の由来を調べることで歴史を学ぶ楽しさを知ったり、地元の特産品(青森なのでリンゴ等)の育て方を直で体験したり、食べる機会が多かったことから食に関する関心が高くなったこと等です。

私は、この様な体験を通じて地元が積み上げてきた歴史、人の想いみたいなものを感じることができる様になったと思います。私はそうゆうものに生かされているとも感じました。そして、いつかは私もそこに参画し、未来の誰かを生かすものが残せたら良いなと思っています。

別にそれは大仰なものでなくても良いと思っています。近所の人に親切にしてあげること、ちょっとしたボランティアをすることでも大丈夫です。遠くにいる私なんかは青森の物を見つけて食べることでも地元に貢献した気持ちになったりしています。

地元を思い、何か行動する、それが私の生きがいの一つなのです。

 

地方・故郷は心のセーフティーネット?

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少し重い話になりますが、人は何故自殺するのでしょうか?

経済的に追い詰められたため?、大切な人に裏切られたため?などが考えられますが、私はこれは「きっかけ」に過ぎないと思っています。

上記の事をきっかけに人は「生きがい」を喪失し、持てる生きがいを全て失った時に人は絶望して、自殺という選択をしてしまうのだと思います。

現代において人の生きがいは資本主義におけるお金における比率が高くなっています。またインターネットの普及により人と緩く繋がれることになったが故に裏切られたり、攻撃されたりすることも増えています。

お金や人間関係というのは周囲からの評価であり、ある種自分でコントロール不可能なものです。そこにしか「生きがい」が存在しないと、その人の精神は周囲の環境、他者の感情に左右されてしまいます。

なので自身を安定させるためには、自分でコントロールできる「生きがい」を育んでおく必要があると思います。その一つとなるのが、地方・故郷という概念だと思います。自分が生まれてきた、生きてきた背景を知り、そこに自身で愛着を持つことは周囲の環境や他者の感情に支配されません。むしろ自分の背景は変えようがありません。なので、地方、故郷といったものは本来心のセーフティーネットとして全て失った時に頼れる最後の生きがい足り得るものの一つと私は考えています。

  

育まなければ生まれない

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地方・故郷という思いはそこにいるだけで勝手に湧き上がってくるものなのでしょうか?私はNOだと思います。ある程度関心を持ち、向き合う時間を重ねることで少しずつ形成されるものだと思っています。地方・故郷を思う気持ちは学ばなければ得られないのです。

この地方・故郷を思う気持ちは人の移動や情報が限定的な時代であれば学ぶ意思が無くても多少なりとも刷り込まれるということがあったと思います。しかし、インターネットに情報が溢れかえる今、人は見たいものだけ見れる時代になりました。結果、地方にいる人でさえ地方から関心を無くし、自分の趣向にあったものだけを見るようになりました。こうして現代人は地元・故郷に対する気持ちを育む機会を喪失しやすくなったと予想されます。

 

地元・故郷に対する気持ちを育めないことは問題か?

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私は地元・故郷に対する気持ちを育めないこと自体は問題ではないと考えています。

ただしこの気持ちが無いと社会は弱体化し、その環境にいる個人も一定の不利益を被ると考えています。

 

まず自分の趣向にあったものだけをみること自体は問題ではありません。興味のある事に主体的に関わり「生きがい」を見出せば良いのですから。インターネットの普及は場所や時間を超えて自分と価値観を同じくする人と触れ合えるきっかけを提供し、そこに帰属意識を形成することはある意味自然な流れではあります。

しかし、インターネットは自身の身体をもそこに運べるわけではありません。最近はOFF会などでインターネット経由で知り合った人同士が現実で会うこと普通ですが、それでも日常生活においては回線越しにやり取りを行うだけです。

この様な関係は平時には問題は無いと思います。しかし、災害が起こった場合は助け合えるのは身体が移動できる範囲に限定されます。災害というのは滅多に起こりません。しかし、起これば生命が失われたり、心身に大きなダメージを負う危険性があります。地元・故郷においてある程度の帰属意識を持っておくことは社会全体の安定性の問題だとも言い換えることができるのではと考えています。

  

地方活性化に取り組むことは徒労か?

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結論、私は徒労だと思っています。

ただし、無駄だとは思っていません。

前置きがありますが、以下に理由を書きます。

 

私は地方活性化を個人の影響下で楽しむことは良いと思います。

しかし、これを他者の行動を変えようという領域に拡大していくことは多くの場合徒労に終わる可能性が多いと思います。

少なくとも私は他者の考え方を変えることができるという考え方は奢りだと思っています。私が他者を主体的に変えることはできません。他者は自主的に変わるだけです。あくまで私は他者に影響を与える存在に過ぎないのです。他者に対しても、そうなのですから社会を変えると考えるのは奢りもよいところだと考えています。

なので行動目的を地方活性化にすると挫折します。

これを回避するには行動目的を自分が地方を楽しむということにすれば良いと考えています。あくまで私が楽しむことは自身の意思でコントロールできる行為です。地方活性化はそれを発信することで他者が影響を受けて、起こる副産物でしかありえないと思います。

ですので、地方活性化に取組むことは徒労に終わりますが、その行為を楽しんで周囲に影響を与えれば無駄にはならないと考えています。

 

まとめ

私が地方活性化を大切に思う理由は私自身が地方に対して帰属意識を持ち、そこに「生きがい」を見出しているからです。

ただし私個人がそう思っているだけで、他者を変えようなどとは考えていません。

私が楽しく生きることで周囲に良い影響を与え、副次的に地方活性化に貢献できる可能性が生まれる、そう思っています。

 

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