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青森県の歴史 むつ小笠原開発計画

初めに

以前の青森県の製造業についてのデータをまとめた際に上位の市町村が八戸市、弘前市、六ケ所村となりました。八戸市、弘前市は青森県内での都市規模から上位に食い込むことは予想できましたが、六ケ所村が上位に食い込めた理由は原子力産業が背景にあります。

この原子力産業について記事を書こうと思いましたが、その前にどうして青森県に原子力産業が進出してくることになったのか、その背景について書きたいと思います。

 

 

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日本列島改造 東北版

1960年後半、「新全国総合開発計画」の閣議決定や田中角栄首相の日本列島改造計画などによってぶち上げられたのがタイトルにあるむつ小笠原開発計画です。開発面積は1万7千ヘクタール、工業生産額は5兆円と言われました(当時の青森県の工業出荷額1500億円ということと比較すると以下に大きな額ということかわかります)。開発背景には太平洋ベルトに集積していた工場による公害の緩和と地方の開発という思惑が重なったことがあります。

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しかし、陸奥湾の漁業者の反対や小笠原湖の塩分を含む水質などの問題で計画は縮小し、面積は六ケ所村を含む計画当初の1/3ほどまでに縮小しました。更に追い打ちをかけるように1973年の第一次オイルショック、1979年の第二次オイルショックを経て進出予定だった石油化学産業が打撃を受けたことから計画は完全にとん挫し、広大な工業用地だけが残りました。

 

余った工業用地の活用 原子力産業

余った工業用地の活用策として1979年、国家石油備蓄基地が建設されました。そして1984年、青森県に対し核燃料サイクル施設、ウラン濃縮施設、低レベル放射性廃棄物貯蔵施設の建設要求がありました。農業者、漁業者、住民による反対運動もありましたが、当時の北村正哉知事が受け入れを回答しました。

そして1992年にウラン濃縮工場をはじめとする一連の施設が建設・操業しはじめました。以前読んだ「これならわかる東北の歴史Q&A」には一連の原子力産業に関わる費用として2004年までに約3兆円の資金が費やされているとの報告があります(以下数値データを引用します)。

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感想

青森県は高度経済成長期に農業県から工業県へ脱皮するべく、国策を通じて太平洋側を開発する巨大な計画があったことを知り個人的に勉強になりました。

開発結果はオイルショックの影響で計画はとん挫し、青森県は主要産業が農業のままという今に繋がる背景がわかりました。ある意味でこの計画がとん挫したおかげで下北の方の恐山や仏ヶ浦といった自然風景が工業地帯に埋もれてしまうことが無くて良かったとも思います(自然風景の近くに工場があると味気ないと個人的には思いますし)。

 

しかし、一方で原子力燃料の保管場という負の遺産を押し付けられているという問題もあります。青森県に縁を持つ人間として、原子力関係の問題に対する興味関心を高めて日々のニュースに目を通していきたいと思います。

 

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