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青森県の観光スポット 十三湊遺跡

青森県には三内丸山遺跡、亀ヶ岡遺跡といった縄文時代の遺跡が有名です。

しかし、中世の遺跡として最近発掘が進んでいる十三湊遺跡について今回は紹介します。

 

 


 

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どんな場所か?

十三湊遺跡は中世約13~14世紀に津軽地方に勢力を持った安藤氏の拠点であったと言われています。

十三湊は三津七湊と呼ばれる港であり、その中には博多や堺もあります。今からは想像もできませんが、青森県にも中世には日本トップ10に入る港があったことになります。

 

安東氏とは?

所説ありますが、鎌倉時代には蝦夷管領として存在していたそうです。

時代は下り南北朝時代、安東氏は津軽地方の下国家と秋田の上国家の二家に分裂しました。十三湊を治めていたのはこのことから下国家となります。そして交易で栄えた十三湊ですが、東から勢力を伸ばしてきた南部氏に追われる形で道南に撤退し、中世の十三湊は衰退しました。

 

どこと交易していたのか?

中世における日本の最北端の港として日本の博多、堺などとの繋がりはあったみたいです。また陸路で平泉に近いことから交流があったようです。

更に北海道や中国、朝鮮といった海外との交易も行われていたことが予想され、アジアのターミナル港としての役目も果たしていた可能性もあります。

 

中世後の十三湊は?

安東氏の下で繁栄した十三湊は安東氏の道南撤退で衰退しましたが、江戸時代に津軽藩の所領となると北前船蝦夷地へ向かう拠点として、米や資材の積み出しとして栄えました。

しかし明治の近代化後、港は太平洋側に移動し、多くの日本海側の港が近代化に対応できず衰退したように十三湊も衰退したと思われます。

 

十三湊を巡る論争「東日流外三郡誌

十三湊を有名にした出来事として「東日流外三郡誌」があります。

東日流外三郡誌」の内容としては古代の津軽地方にはヤマト政権から弾圧された政権があったというものや、十三湊が安東氏の拠点であり津波で滅んだというものです。

しかし、文章の出所が著者本人の屋根裏であったことや実際に津波が起こった時期が地質調査と異なる事から偽書ということがほぼ確実となっています。

 

個人的な感想

十三湊はふるさと納税の資金使い道に遺跡発掘があったことやつがる時空間さんの記事で読んで気になり、記事にしました。調べてみるとかなり奥が深く、もっと調べてみたいと感じました。調べたらできる範囲で情報更新していきたいと思います。

 

 

参照サイト

a.wikipedia.org

www.rekihaku.ac.jp

www.city.goshogawara.lg.jp